藤森建築と路上観察 第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展 東京オペラシティアートギャラリー

2007.4.14日[土]─ 7.1[日]


展覧会導入パネルに、「(構造でなく)あえて仕上げにこだわる」と記した言葉に違わず、これまで携わった建築物の仕上げをかなり大きな面積のサンプルにしてずらっと陳列していたのにまず打たれた。これはおもしろい。

憧れの高過庵を作った人の展覧会。
色々と世界のおもしろ建築を論評する人、というだけでなく上記の茶室以外にも色々と建築物を作っていたことが今回初めて分かった。
その殆どはマスが対象ではないタイプの建築物であり、会場中央に展示してあった、「地球が温暖化して海面が上昇した後の東京」の模型のように、もうひとつの「インターナショナルスタイル」である藤森建築的な建築物が都市に林立するには、模型にものすごくうまく示されているように、折れて海面に沈んだ東京タワーをそのまま放っとく、くらいのパラダイムチェンジか天変地異が起らなければならないのであった。

途中ににじり口があって、そこから先は竹か藤のござがしかれていて靴を脱いだ足に心地よかった。リラックスできる。これは裸足になれば獲得できるというものでもない。会場に林立していた土の塔に小さな扉が付いていて、それを開けると土の塔の内側、暗い空洞が見えるのだけれど、そこから発する、いいとも悪いともつかない土+何かのにおいと、偶然飛び出してきたものすごく小さい羽虫に考えさせられた。
藤森氏の東北大に出した卒制は、クロード・ニコラ・ルドー(1736-1806)の《瞳の中のブザンソン劇場》(Eye Enclosing The Theatre at Besancon)からイメージを展開した橋の設計案《幻視によってイマージュのレアリテを得るルドー氏の方法−橋》(1970年)。ルドーは球形の監視小屋などを考案していたりして、フーコーの監視装置の系譜を思わせる。
しかし、藤森氏のイメージはその誇大性というか、荒唐無稽性の方向に展開しているように思えて面白い。


路上観察学会の発見物上映が、竹組みのパオみたいなものの内側で行われていて、さまざまな見立てに笑ったり感心したりしているうちに時間が来てしまい、のぞきにいくはずだった発表に遅れた。

今日はおわり。