シリーズ・哲学のエッセンス メルロ=ポンティ 哲学者は詩人でありうるか? 熊野純彦 NHK出版

                            メルロ=ポンティ―哲学者は詩人でありうるか? (シリーズ・哲学のエッセンス)

現代思想でけつまずくのは論理が展開される過程で使われる比喩と象徴に満ちた語句のかずかずです。襞とか肉とか家とか器官なき身体であるなど。
原語で読もうとすると、不安と苦労はいや増す。chairは肉。でいいのかね?肉体はcorpsであったはず、viandeではないのはなんで?など。
ちょっと古いところになると悟性とか、翻訳の歴史における用語体系を押さえないと、その単語の意味するところすら不明。
自明のようにそれら単語を使って思考が綴られるのでやがて付いて行けなくなるか、興味を失うか、せいぜい自分に都合のいい解釈でもってやり過ごすのがこれまでの私だった。
しかし、この本を読んだのでどうして思想家がそういった言葉遣いをするのかが腑に落ちました。つまり記述するという行為の時点で哲学者は詩人と同じ立ち位置に立っているのだということ。私は全くもって詩に対する感受性が鈍いので、これもまた、二重に腑に落ちる思いがした。
今まで適当にやり過ごしてきた思想書の数々を再度手に取ってみる気になったのは得難い収穫だった。
家人に感想を述べたら「そんな感想伝えられません」と言われる。