特集展示 青木繁 ー《海の幸》100年 ブリヂストン美術館

9月17日〜10月10日

ブリヂストンは2004年に東京文化財研究所と共に《海の幸》制作100年を記念して高精細デジタル画像や赤外線画像撮影による光学的調査と、制作地千葉県布良の現地調査を行った。その成果披露と、所蔵作品約20点を集めた展覧会。

青木繁は明治浪漫主義の美術における代表者として日本美術史に大きな足跡を残したという。この点については多くの研究がなされている。「青木繁と近代日本のロマンティシズム」なんていう展覧会も近美であった。確かに、《海の幸》をはじめ、《わだつみのいろこの宮》《黄泉比良坂》《大穴牟知命》など神話に取材したものも多い。でもなぜそれが歴史主義ではなくて浪漫主義であるのか。こんなにおおざっぱに言って良いかわからないが、そこに当人が何らかのイデオロギーを含ませず、ただただ古代への憧憬を、それにふさわしい筆致で描いているからであろうかと思う。古代を題材にすること自体、日本の洋画は何を描くべきかという当時の大命題に影響されているという点でイデオロギッシュではあるが。
それにしても、青木繁黒田清輝門下なのにひとりで浪漫主義的傾向が顕著だった。黒田清輝でさえ《昔語り》以降歴史に材を取った作品は作らず、弟子達に至っては平明な日常の一シーンの表現に終始していた。余談だが東京美術学校には「古事記を題材に描け」といわれて「岩窟に座る乞食」を描いて大笑いされた生徒がいたそうだ。もちろん藤島武二和田英作などがやはり古代、異国へのロマンにかき立てられてエキゾティックな人物像を描いているとはいえ、青木のように、想像力のままに物語を視覚的に構成したような絵を描いた人はあまり見あたらないのである。
初期の《黄泉比良坂》などを指して黒田に「もっとも理想という点で面白い現象を顕したのは青木繁君のスケッチ」といわしめた所以だろう。《海の幸》はそうした青木の絶頂期に至ろうとした時の作品。
その後洋画界は何故か青木に冷たくなる。《わだつみのいろこの宮》なんていい絵を描いているのにもかかわらず、である。それで不遇のうちに28歳で亡くなってしまうのであった。青木の路線は、岡倉天心のもと「日本絵画」を作っていこうとしていた菱田春草横山大観日本画家達の選択に親近性が見いだせると思うのだが、彼らは大成功し続けていくのである。理由を考えるとこれはとても興味深いことだ。


今日青木の絵を改めて見て思ったのは、朱色の輪郭線の効果。一種未完成の雰囲気、もしくは異化の役割を果たしていて、ゴーギャンなどの絵が持つ象徴性に近く感じられる。