Made in Russia by Oleg Soulimenko and Andrei Andrianov in ATF 2010, tallinn, Estonia

それで、アブダビに行く前にバルト三国であるエストニアに行った。積極的な理由はなかったが、なかったことについては深い理由がある。
ともあれ、初めての国でわくわくした。パリからエストニアン・エアという飛行機に乗るのだが、「みなさんご存知ないでしょうから」という感じで、機内誌の始めの頁にエストニアについての基本的情報が載っている。これがまたよく出来ていて、人口、国の広さから、最も高い標高(300メートル台みたい)、歴史、人口における人種の比率だとか、何%がネットを使っているとか、人口密度だとか、小学校では何語が教えられているかとか、誠に簡潔明解に書かれていて面白かった。後でエストニアの人と話した時、いかにもエストニアのことを調べてきました風の顔が出来たほどでした。エストニアって、ほとんどずっと他国に占領されていた国みたいです。エストニア最古の大学はスウェーデン王が作ったものだったり。他の旧ソ連にもれず、エストニアも90年代に独立したのだが、その機内誌には、「この時ロシア軍が撤退し、エストニアの第2次大戦は終わった」と書かれていた。

首都タリンは中世の面影を残す旧市街を中心にした町である。あとでネットで日本のサイトを調べたら、フィンランドヘルシンキからフェリーで日帰り観光にちょうどいい、といった紹介が多いが、私としては、町を見るだけならヘルシンキよりはるかに魅力的だと言いたい。

ちょうどダンスのサマー・フェスティヴァルをやっていると教えてもらったので、夜見に行ってみた。これが意外に面白かった。
ちなみに劇場は、やはり古い建造物を利用したもので、狭いけれど天井がとても高い。部屋にはいると客席のイントレの真下のスペースなのである。そこがバー兼クローク兼ロビーになっていて、時間になるとイントレの向こう側、すなわち客席にどやどやと向かう、という仕組み。「アヴァンギャルドな劇場よ」と教えてもらったが確かに。お客さんは、おしゃれに気を使った感じの若者が多かったが、ふらりと寄った感じの観光客の老夫婦がいたりして客層も奥深い。
さて、Oleg Soulimenko と Andrei Andrianovはロシア人二人組のユニットで、全然知らない人たちだった。どちらも40代後半〜50代?の男性なのだが、この2人、自分史とロシアおよび西欧におけるコンテンポラリーダンス史、そして激動の現代ロシア史を体現した人間として、自分たちを作品によって記述する。これが面白かったのです。
使用言語は英語とロシア語なのだが、字幕をうまく使っていてロシア語はわからなくても問題ない。ただ、英語がフォロー出来ないと、作品がどういったものなのかわからなくなってくる。この点で普通なら、ダンスの作品なのに言葉に依存しちゃってーなどと考えて個人的にはあまり好感がもてなくなるのだが、これについては違った。構成上、テキストが必然性を持っているのである。要するに「語り」が入るのだが、それはこの作品上必要なものなのだ。ダンスも、いわばメタ・ダンスであり、脱力感に溢れているのではあるが、あれはああいう踊りでないといけなかったと思う。このようにして、舞台上の全てが必然であったのである。ロシア構成主義の残滓を的確に表すためか、途中突然出てきた一辺15センチ位のちょっとしたマイクスタンドの飾りなどもそうだし、作品タイトルもしかり。
ロシアのコンテンポラリー・シーンについては知識ゼロだったが、図らずも生きた歴史を垣間見ることとなった。舞踏とか、コンタクト・インプロビゼーションとか、その時々のムーヴメントと彼らの取り組みが再現される訳だが、かなり笑ってしまった。

エストニアの人にとっても、自国の状況と比較すると、なおさら興味深く見られたことだろうと思う。つまり、コンテンポラリー・ダンスなりなんなり、ある文化の「受容側」のアイデンティティについて、思いを巡らさざるを得なくなるのだ。

こうした作品は日本では見かけないなと思った*1。まあ私が観に行っていないだけかもしれませんが。
全体にオヤジの疲労感が漂いつつも、非常にきちんと構成された作品で、席も満席だったし、まだまだ知らない世界はあるものだと実感出来て精神的に良かった。


長く書くと疲れますわ。

*1:後記:公演の話を人にしたら、よくあるよ〜と言われました。そうだったのか。