Musée du Quai Branly

文字通りブランリー岸にある。シラク時代の2006年6月にオープン。建物はジャン・ヌーベル。
チケット売り場に長い列をさばくためのパーテーションがおいてあって日中はさぞ混むのだろうと思われた。

さて、長いスロープによる展示室へのアプローチは車いすに配慮したものと思われる。しかしながら、直線を排している建物のデザインを象徴しているともいえる。

コレクションの展示スペースは最初から作り込まれていて建物に組み込まれた箇所も多く、改変、展示変更は難しそう。実際、建物の著作権はヌーベルの事務所が保持しており、そこの許可を取らなければ改装、改築も認められないのだそうだ。

展示は、アフリカ/オセアニアのコレクションを始めとして、徹底的にオブジェとしての見せ方。迫力が最大限に引き出されている。
照明も、博物館的に見せるのではなく、かなり演出掛かっていて、呪詛的なイメージを引き出すことに貢献している。必要以外の部分は原則暗く、結果としておどろおどろしい雰囲気。元々それらが置かれていた現地での日中の明るい光であるとか、乾燥した雰囲気、植物、ようするにもとの環境のその他の要素は、想像にお任せする、という感じ。

また、アジアのコレクション、特に東アジアが充実していないのはコレクションの経緯上うなづけるとしても、日本のものが型紙であることに驚いた。同行者曰く、洗練の極みである江戸の型紙をプリミティブ・アートと同列に扱うとはけしからん。といっても江戸小紋の型紙があった訳ではない。それは置いておくとしても、アボリジニの2000年代の抽象画が作家の名前入りで普通に並べてあるのはどうかと思った。これ現代美術館の文脈だと思うが。

また、エチオピアの展示は、キリスト教図像を描いた19世紀の壁画と写本で、なんでよりによってこれ???だれかが「エクソシスト」を思い出した、と言っていたが、本当にバイアス掛かったセレクトだなあ。それしかないのだろうけれど。

さらに、アフリカのとある地方のドキュメンタリーをブロジェクターで流していたが、これがまた、洞窟のような演出の暗い小部屋で、かすれた映像で、ピカソがインスピレーションを得た彫刻(それそのものも展示されてたけど)みたいなものや、裸のアフリカ人が歩いて行く、という象徴的な映像を交互に挿入しつつのインタビュー映像で、よじ上ってプロジェクター設置部分を見てみると、投影される部分にガラスを1枚置いて、それによって不鮮明さを演出しているのであった。
この感性はフランス以外ありえないのでは、と、これも偏見かもしれないが、まことに中華思想を感じ、そういう意味で面白かった。

総じてコレクション展示品は19世紀−20世紀のものも同列に入り乱れ、展示コンセプトがよく分からず、人類博物館からケ・ブランリーに一部人材とものを移動する際、常設コンセプトに反対して辞めた人もあったという裏話もうなづける話しだ。生活のため辞めなかった人ももちろんあり、彼らは特別展に力を入れているそうです。

植民地から良いものをごっそり持ち帰って形成されたアフリカ関係のコレクションは必見。オセアニアもすごい。建物の中央部分が収蔵庫で、ガラス壁によって全方向から公開されているのはとても良かった。

よくも悪くも興味深い博物館だが、博物館学的には、これ20年持つだろうか?また、アフリカ諸国から苦情が来ないんだろうか?