第3回福岡アジア美術トリエンナーレ2005 福岡アジア美術館

9月17日ー11月27日

今年のテーマは「多重世界 Parallel Realities: Asian Art Now」。21カ国より50組の作家が参加。
キャプションの作品解説が熱心。作品の解説はコンセプトを言語化するし、また社会背景を端的に説明してしまうから、それによって残りかすみたいに見えてしまう作品と、強度を持った作品とがはっきりする。場合によっては解説が愚かしく思えるほど作品が豊穣だったりする。現代作家の作品と解説との権力関係は面白い。
のんびり見たわけではないが映像作品が多く、全てをみると2時間以上は普通にかかる。今年のサブテーマはテクノロジーを介したコミュニケーションだということで、といってもそれらは主にビデオ画像によって表現されていたので、映像作品が多かったというわけだ。以下備忘。
ヤン・ジェジョン(中国)円形マルチスクリーン使用。人々が自分を取り囲んで寄ってきたり引いたり。かなりこわい。車椅子の頭上に小さな笠を付け、そこにずらっと8台くらいのビデオカメラを取り付けて撮ったらしい。撮ってるところを想像するとおかしい。想像の助けになるようにか、車椅子の写真と撮影風景の写真が飾ってあった。
ヤン・フードン(中国)同じ場所、同じ登場人物による別内容の映像。2つの殺人事件を隣り合った部屋で同時上映。設定には既視感を覚えるけれど、撮り方のセンスがすごくいいと思った。山とか、その中の畑とか。
ハム・ジン(韓国)1センチくらいの小さな生き物の社会を作った彫刻インスタレーション。楽しい。床のハバキ部分にずらーと並べてあるので、観客は虫眼鏡を持ち這いつくばって回って見ていた。私も。
ヘマ・ウパディヤイ(インド)草間弥生フリーダ・カーロに通ずる強烈な女性性を発揮したファンタジー世界。割と気に入った。作品解説によると社会の中で隠蔽された不正や暴力を表しているそうだ。そういってしまうだけと作品から受けた印象のかなりの要素が抜け落ちる。
ゼン・ユーチン(台湾)幼稚園児達の日常を淡々と映像で流す。でも全員目を閉じたまま。センチメンタルな音が流れ続ける。これは良かった。
デェーン・ブアサーン(タイ)幻想的なイメージを絵画に描写するのがとても上手い。絵が上手いのである。弟の死を表したインスタレーションがあったがまるで自分の弟が死んだように胸にこたえた。
セレーデリン・ダグヴァドルジ(モンゴル)心が洗われるような清浄なインスタレーションだった。解説により、ゲルの部材を用いてゲルからみた月をイメージしていたことを知る。
チャン・ヨンヘ重工業(韓国)ネット作品。感覚的にすごくぴったりくるように文字と音楽との同期を取っている。現代人の暗鬱な心理を吐露する、と解説読めばなんだそりゃ、だが作品は別。解説にセンスがなくて、作品にはセンスがあるということだ。しゃらくさいとは思いつつ気に入る。