有鍵楽器の彩光投写装置


有鍵楽器の彩光投写装置とは、斎藤が1952年頃から取り組んだ発明品のタイトル。ピアノやオルガンに電極を繋げて強弱、高低と同期をとって有色の光を投写するというメディアの考案を、斎藤佳三は死の数年前に行った。このへんで、誰でもスクリャービンを連想するんではなかろうか。佳三は大正2年に山田耕筰と日本への帰路の途中寄ったモスクワでスクリャービンを知る。帰国後東京音楽学校の同窓会紙に「スクリャービンに捧ぐ」という詩を寄稿しているし、斎藤の朋友山田耕筰もやはり、スクリャービンの死を知ってスクリャービンに捧げる曲を作った。斎藤、山田より少し前、大田黒元雄がイギリス滞在中に既にスクリャービンに接しているが、日本人としてはとても早いスクリャービン受容だったといえる。とはいえ、それから約40年後に発案したメディアの制作動機にいくらなんでも、スクリャービンの仕事だけを結びつけることが出来るものだろうか。かなり大きなインパクトを受け、表現媒体モデルのひとつとして大いに念頭に置いていたとしてもだ。それにスクリャービンの神秘学的傾向に対して斎藤の路線は常に現実味を帯びている。という訳で、紙面数の都合もあり、スクリャービンのことはばっさり割愛してしまった。別の機会で触れることにする。
共感覚の持ち主だったといわれるスクリャービンや、カンディンスキーのイメージした総合芸術の表現形態は、斎藤というフィルターを通してどのように変化したのか推測するのは面白いのだが、彼自身は完成、実用化を見ることなく亡くなってしまった。